デッサンはなぜ必要か|マチスの言葉から学ぶ、大人の絵画上達法

デッサンって必要?なぜ、うまく描けないのか
質感を描き分けるデッサン習作

皆さんはデッサンについてどんな感情をお持ちでしょうか?

「しんどい」
「つらい」
「うまく描けないからやりたくない」
「アートやるのに、そもそもデッサンなんて必要ある?」

もしかしたらこんなふうに考えて、あまりいい感情をお持ちでないかもしれません。

でも一方で、20世紀の巨匠アンリ・マチスは、デッサンを大変重視していました。

この記事では、アートにデッサンは必要か?というとても大きな問いに対して、マチスの言葉を引用し、自分なりにデッサンの価値を再定義してみようと思います。

目次

初心者が知るべきマチスの言葉

アートは感情を表現するものだ、とよく言われます。しかし「感情があれば、誰でもアート表現ができる」のでしょうか?「感情があれば表現できる」と「感情を表現できる」の間には、大きな隔たりがあります。その隔たりを埋めるものが何か?20世紀の巨匠アンリ・マチスは、その問いに真っ向から向き合い、考え、実践した画家でした。

マチスはデッサンと色彩の関係について、こう述べています。

「絵画が精神の領域に属し、色彩が感覚の領域に属するとすれば、まずデッサンで精神を鍛えなければならない。そうして初めて、色彩を精神の道へと導くことができる」
 — マティス(Caranfa, 2003, p.110 所収)

20世紀最大の「色彩の画家」が、なぜこれほどデッサンの先行を重要視したのか。
この問いを掘り下げると、西洋美術史に400年以上続く論争と、マティス自身の制作の核心が見えてきます。

デッサンと色彩を巡る、400年続いた論争

マティスの言葉にある「精神」と「感覚」という対比は、彼が独自に作り出したものではありません。ルネサンス期イタリア以来、西洋美術を貫く根本的な論争でした。

16世紀、フィレンツェの画家たちは 素描を重んじ、ヴェネツィアの画家たちは 色彩を優先しました。フィレンツェ側の画家たちにとってデッサンとは「理性と知性の産物」であり、色彩は「感覚の耽溺」でした。

この構図は後に「プッサン対ルーベンス」として繰り返され、19世紀には「アングル対ドラクロワ」という形で頂点を迎えます。

アングルは「デッサンはアートの高潔さそのものだ」と宣言しこう続けました。「デッサンとは単に輪郭を写すことではない。表現であり、内的形態であり、造形そのものだ」。対するドラクロワは、色彩の感情的な力を信じ、筆致そのものに感情を宿らせようとしました。この二人の対立は、フランスの風刺画にも描かれるほど、社会的に広く知られた論争でした。マチスはこの長い歴史の末に立ち、その二項対立を問い直そうとした画家でした。

マティスにとってのデッサンは、感情の「翻訳作業」

1939年の論考「デッサンについての画家の覚書」の中で、マティスはこう書いています。

 「私の線によるデッサンは、感情を最も純粋かつ直接的に翻訳したものだ。
 媒体の単純さがそれを可能にする」
 — マティス、「Notes of a Painter on his Drawing」1939年

ただし、この「純粋な線」は即興ではない、と同じ論考の中でマティスは明かしています。

純粋な線のデッサンに先立って、木炭など、より柔軟な素材で何度もモデルを研究し、人物の性格、光の質、空気、感情のすべてを同時に考察し続ける。そして複数のセッションにわたる労作で疲れ果てたとき、初めて、精神が澄み渡り、ためらいなくペンを走らせることができる

つまり、マチスにとってデッサンとは「感情を正確に翻訳するための、精神を研ぎ澄ます行為」だと言うのです。

無彩色の版画で色彩の本質を発見

マティスについての批評研究(Artforum「The Matisse System」)は、さらに興味深い事実を指摘しています。マティスが「色彩の量とその質は比例する」という自身の核心的な色彩理論を発見したのは、白黒の木版画を制作している最中だったと言います。色彩を一切使わない状態に自分を置いたからこそ、色彩の本質が見えてきた、と。感覚を封じることで、精神が色彩の構造を捉えた。これはマティスの言葉を最も雄弁に裏付ける事実とされています。

病で絵筆を持てなくなった晩年のマティスは、色紙をハサミで切り抜く切り絵という技法を用いて、制作を続けました。MoMAの資料によれば、彼はこの行為を「色彩に直接切り込むこと」であり、同時に「ハサミで描くこと」だと述べています。ハサミの軌跡が線であり、同時に色彩の形を決定する。400年間対立し続けた「精神の領域」と「感覚の領域」を、文字通り一つの動作で統合しようとした、巨匠マチスの境地がここにあるのかもしれません。

わたしの「観察」

一方、マルセル・デュシャンの出現でアートの概念が覆されて以来、デッサンどころか平面において、もはやその存在価値をも問われていると思われる昨今。それでもなお、人は絵を描きたい、そのための礎を築きたいと願うのは、何故なのでしょうか。

私自身も、抽象画を作品のメインに据えていますが、日頃デッサンを描きます。

マチスの言う「デッサンが精神を鍛える」とは「デッサンは単に正確に描く技術を習得すること」のみならず、「モチーフへの先入観を捨て、世界(光・質感・空間)の輪郭を、自分の身体を通して体験すること」そして、その積み重ねの末に「感情を翻訳する力」が育まれるのだと、私たちに伝えているのかもしれません。

ここからは全くの私感ですが、私がデッサンに没頭しているとき、私はモチーフ自体になる感覚があります。どういうことかというと、モチーフの細部を描き進めるとき、モチーフ自体の質感、色味、重さが、描いている私の身体を使って再現されるような感覚になるのです。例えば、キュウリだったらキュウリに、レンガだったらレンガに、私がなる、そんな感覚です。これをいうと多くの方に微笑されるのですが、でも、私はこの体感こそが、私にとって「観察すること」なのだと思っています。

「デッサンは観察から始まる」デッサンの定義にこの言葉はよく使われます。でも初心者の多くは、自分のバイアスに映る概念的映像を目の前のモチーフに重ねます。目の前のモチーフと、自分の描くデッサンが、どうズレているのか、何がズレているのか、それを見定めることは、脳に大変な疲弊をもたらします。何故なら人間は、自分の慣れ親しんだ概念を疑い、真っさらにモノを観ることに、とてつもないストレスを感じるからです。けれど、デッサンを描くということは、このストレスに抗い、自分のバイアスに気付き、それを捨て、目の前のモチーフを、色眼鏡をかけずに見ることの繰り返しです。脳が精神を司っているのだとすれば、マチスのいう「デッサンは精神を鍛える」もの以外の何者でもないのではないでしょうか。

デッサンに必要な要素は、勿論、技術的な習得もあります。紙という平面の中に立体的な空間を表すには、モチーフの構造を理解し、光の回り込みを描き分ける必要があります。デッサンを習わずとも、色彩だけでこれを表現することも可能ですが、デッサンによって、モチーフの構造、そしてそれを描くために必要な絵の構造を勉強すれば、自分の見えないもの(感情)までも、不純物無く触れることができるかもしれない。だから私は、抽象画を描くために、デッサンを続けています。

現在はAIにプロンプトを投げれば、ほんの数秒で、希望する画像を出力してくれる時代になりました。AIは感情を持ちません。デッサンを積み重ねた「身体の記憶」も持ちません。でもデッサンが機械には代替できない「わたしが世界を翻訳する訓練」そのものだとすれば、この、どうにも不合理で、生産性の低そうな作業は、人間特有の、豊かな体験として、価値の逆転がなされていくのではないか、そんな気がしています。

今後のAIの発展によって、人間がどのように変化するのか、私には知る由もありませんが、人間が身体を持ち合わせている限り、デッサンを通して得られるこの「身体体験」は、人間時間を豊かにしてくれるものであり続けるのではないかと、私は考えています。つまり、美術に必要、不必要という二項対立を超えて、人間に残されたニッチで、ラグジュアリな体験として、愉しむ余暇となるのではないかと、想像しているところです。

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参考文献・引用元

[1] マティスの発言(精神と感覚)
Caranfa, A. (2003). Matisse’s Philosophies of Art and Education. p.110
※論考引用:https://www.leahpirone.com/2021/02/24/matisse-spirituality-and-his-work/

[2] 「私の線によるデッサンは、感情を最も純粋かつ直接的に翻訳したものだ」
Matisse, H. (1939). Notes of a Painter on his Drawing.
The Morgan Library & Museum:
https://www.themorgan.org/drawings/item/247234
論考全文:
https://www.arthistoryproject.com/artists/henri-matisse/notes-of-a-painter-on-his-drawing/

[3] 「色彩に直接切り込むこと」「ハサミで描くこと」
MoMA — Henri Matisse: The Cut-Outs:
https://www.moma.org/interactives/exhibitions/2014/matisse/the-cut-outs.html

[4] 色彩理論をデッサン中に発見した、という分析
Art forum — “The Matisse System”:
https://www.artforum.com/features/the-matisse-system-227487/

[5] disegno対colorito論争(歴史的背景)
The Collector:
https://www.thecollector.com/colorito-disegno-art-historical-debate/
Open University — Delacroix: Colour versus Line:
https://www.open.edu/openlearn/history-the-arts/history-art/delacroix/content-section-2.10
The Boston Globe(2009年4月12日):
http://archive.boston.com/ae/theater_arts/articles/2009/04/12/showing_their_true_colors/
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